猫のおはなし ~その③

猫のおはなし ~その③

Putting out fire (with gasoline)

Boy(オッサン) meets Girl

僕が音々と出逢ったのは音々が8歳ぐらいの頃だったと思う。当時いろいろあったあげく職場の寮から転がり込むようにMaiさんの家に住み始めました。音々は産まれて間もなくMaiさんにもらわれたそうで、その8年間の物語はMaiさんと音々しか知りません。必然的にMaiさんと音々の二人家族の中に割って入るカタチになりました。

音々はまだまだ若くて元気で甘えん坊でした。避妊手術を受けていないせいか、歳よりずっと若く見えました。さあ困った。継父のような立ち位置ですw でも一緒に暮らしていくからには仲良くならないといけません。なんせMaiさんの家族ですから。

音々は甘えん坊でビビりぃで男性嫌いです。でもそのわりには嫌われませんでした。Maiさんの空気を読み取っていつもMaiさんの真似をするような子でしたからMaiさんが僕に打ち解けているのを見て警戒を解いたのかも知れません。Maiさんが驚いていました。

とはいえ音々にとって僕は他人です。成猫が育ててもらった飼い主以外に馴れるのには何年もかかるそうです。しばらくはMaiさんの取り合いが続きましたw

飼ってる猫ちゃんが完全家猫の方はわかると思いますが、寒い日に寝ていると布団の間からスボッ、ズボボボボボーッ!っと入ってきたりしますよね?二人で寝ているとそれをやるんです。わざと間に入ってきてMaiさんにピッタリ。母ちゃんを取られたくないんですね。Maiさんと付き合い始めの頃の僕には邪魔で仕方ない。それとなく追い出そうとします。でも音々のほうが先に家族だったんだから、仕方ないですよねw

 

ズボッ!

 

音々とケンカもしました。なんか粗相をしてちょっと叱ろうとしたら手を噛まれたもんで思い切り顔を噛み返してやりました。動物虐待?知りませんよそんなの。僕は真剣に音々と向き合っていたわけです。それで嫌われるなら自分の責任として受け入れるまでです。

でもその頃から僕達はだんだん家族になりました。僅か数ヶ月で父ちゃん(音々に対しては兄ちゃんという呼び名だったので僕の名前は兄ちゃんという認識だと思いますがw)に昇格しました。快挙です!

バラ色の日々

擦り寄って来てくれるようになりました。ヒザに乗ってくれるようにもなりました。仕事から帰って玄関を開けるとすでに正座で待っていて、にゃ~(お帰り!)と出迎えてくれるようになりました。

いろんな時間を音々と共にしました。大変な時期というのもありましたし僕は家では開けっ広げの性格なので笑ったり泣いたり怒ったり(怒るときは言葉通り向こう三軒両隣に響き渡るほど怒鳴ったりします) を音々は全部見てました。

呼ぶと来てくれるようになりました。僕の肩に飛び乗ったりもよくしました。

当時も音々は若くて元気だったので家具を伝ってカーテンレールの上を歩いたりしてカッコよかったです。

高いところを作ってあげようと背の高いキャットツリーを買ってあげたり、オモチャはしょっちゅう買ってました。レーザーポインタが大好きでしたね。

音々は避妊手術をしていなかったので年2回の恒例行事は男である僕の役目です。つまりお尻を向けてフガフガ言ってくるのでシッポの付け根辺りをグリグリと親指で電気アンマ~!です。

これは面白かったw 面白がって何日も続けてるとある日突然我にかえって「に、兄ちゃん。何するんですか!」って拒否られるんですけど、これだって虐待じゃないですからw!必要なことなんです。

音々が僕に対して親のようになついてくれたのでコチラとしてもいつしか我が子のように感じていました。

借金はありましたが音々がのびのびと過ごせるように家賃12万のペット可マンションに引っ越しました。

家に帰ると玄関の方まで駆け寄ってくるんですが、にゃ~!と僕を呼ぶのと駆け寄るのを我慢できず同時にするので歩く度に声が途切れて「に、ゃ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、あ」ってなるんですよw わかります?スゲェ面白いと同時にスゲェいとおしいんですよこれが。

これはMaiさんのおかえり待機の正座

 

面白いと言えば我が家に初めての液晶テレビが来た頃、HDの動物チャンネルをつけると音々が画面に駆け寄って「どした?…どした?」って感じで画面をトントンしたりテレビの裏を見に行ったりして大ウケしたこともありましたw

大嫌いな風呂にまでビビりながら覗きに来たり、呼べば必ず来たり。たぶん100回呼んだら100回来ましたね、あの頃は。幸せでした。

Kooks

その頃Maiさんと結婚して音々を初めてシッターさんにお願いしてタイに旅行に来ました。

それから僕はちょっと離れた地方に単身赴任をしました。毎日SkypeでMaiさんと音々に連絡したりしてました。

で、いろいろまたあって離れてるのがしんどくてまた一緒に暮らすようにしました。

運動能力は落ちてきたものの音々はいつも元気でした。医者にかかったのって多分歯肉炎で歯を抜いたぐらいだと思います。

Maiさんとの歴史でもあるわけですが、僕と音々の時間も10年を迎えようとしていました。いつものように音々のお腹をなでくりまわしていると小さなシコリを発見しました。乳腺腫瘍です。

タイに移住を決めた頃でした。それからタイに来るまでの話は前々回の記事に書いた通りです。

猫のおはなし ~その①

猫の乳腺腫瘍というのはほぼ悪性なんだそうです。放っておけば死にます。手術しても転移します。音々は18歳でした。手術は大きな負担です。

お世話になった獣医師のM先生と話し合いました。腫瘍はまだ小さい。このまま元気かもしれない。音々はすごく長生きしてるのでいつか死んでも病気のせいなのか老衰なのかわからないぐらいのレベルだよと。

でも手術することにしました。タイ行きに向けて覚悟を決めました。音々をタイに連れてくることは音々をタイで看取るということでした。だから日本には連れて帰らない前提だったんです。

ところが音々は元気に生きました。一度また歯肉炎が悪化したのか吐いて食べなくなったりしましたが。。。

 

その時はいよいよかな?ってチラっと思ったんですけどなんかまだだって思ったんです。それでIto-yaさんかどっかで離乳食用のシリンジを買ってきて、ウンチも出なかったから赤ちゃん用の浣腸を買ってきて無理やり食わせて。。。

そしたらまた元気になりました。

自分から食べたときとウンチが出たときはMaiさんと拍手して、やったね!偉いね!と褒め称えて抱き締めてやりました。

日本の実家に音々の様子を知らせたら先生が驚いていたそうです。スゴいね、化け猫だねって。

僕も音々がこのままずっと居てくれるような気になってました。

「なんかこのまま化け猫になってくんねぇかな?」

「もう化け猫だよ?そのうち尻尾3本ぐらいになるから」

そんなような会話をMaiさんとしたのを覚えています。

化け猫

 

Quick Sand

音々はしばらく元気に過ごしました。具合を悪くしたときに思ったのでしょうか。食えば元気になる、ウンコしたら元気になる…と。それとも僕が食え!ウンコしろ!といつも言っていたので、そしてそうすれば褒めて喜んでもらえたので親に気を使っていたのかも知れません。やたら食事とウンチを頑張るようになりました。

ですがある時、残ったオッパイの左側にまたシコリを見つけました。いよいよ来たと思いました。もう手術はしません。本人にも自覚はありません。どのぐらいかはわかりませんが残された時間を大事に過ごすことにしました。

ところでご存知の通りタイは暑いです。寝るときに掛け布団をかけたりしません。つまりクッソ暑いから寝るときに布団でモフモフがないんです!

一緒になんて寝てくれません。

ですがその頃音々が日課にしていたことがありまして、まず寝るときに僕がベッドに呼びます。で、ウンチが出やすいようにお腹をマッサージしてあげます。それが一通り済むと僕がうつ伏せの格好でスマホをいじってる腕の方にどしどしと歩いて来て僕の顔とスマホの間に鎮座しますw

腕まくらです。

どす~ん!

 

5分ほどすると去っていきます。

コレ毎日やられましたw 甘えてるのかなんなのか?

今思えば僕に気を使っていたんだと思います。布団でモフモフの代わりw スキンシップしてくれてたんだと思います。音々なりの僕への寝かしつけ。

スマホいじる邪魔はされたけどアザーっす!

人(猫)生の終わり~for little daughter

それは突然に来ました。

音々は二十歳になっていました。

僕の座っているソファーの足元で突然ほふく前進のような動きを始めたかと思うとくるん!とでんぐり返ししました。キャット空中大回転!(誰も知らんかw)

一瞬、新しい遊びを編み出したのかと思って「お、スゴいじゃん音々w」って言おうとしましたが、顔をみると尋常じゃない様子で目を剥いてのたうち回っています。

不覚にもうろたえました。

オロオロと「音々音々!」としか言えず何も出来ないでいる自分が間抜けに感じました。

血を吐きました。

血を吐いてその場は収まりました。とうとうその時が来ました。

それでも食べようとする音々。かがめないからごはんは箱の上に。

 

もうベッドの数十センチも飛び乗って来れません。お尻から血を垂れ流すようになりました。

音々は申し訳なさそうにしていました。

Maiさんは「いいんだよ」と言ってオシッコシートを拡げてやってその上で休めるようにしてやってました。

目やにが出続けて目の下がただれて毛が剥がれてきました。

もうヨレヨレでした。それなのに食べようとしました。一口も食べれないのに。

それなのにトイレで踏ん張りました。血しか出てこないのに。

親の言い付けを守って。。。

 

そんな数日を過ごしたある晩シャワーに入っていて出ようとしたところ、まともに歩けもしない音々が風呂場までヨタヨタと歩いて来ました。

「どした?おいおい、いいんだよ。そこで待ってな?」

そう言っても近付いてきました。大嫌いな風呂場まで入ってきました。シャワーがジャージャー流れてるのにどんどん入ってきました。

そんなことは一度もありませんでした。何を考えていたのか正直わかりません。少しでも側に居たかったのか、怖くて心細くて来たのか、親を喜ばせたくて来たのか。

僕は最期の覚悟を決めました。「よしっ!おいで」と言ってシャワーに入れました。

「キレイにしたいんだな?じゃあ頑張ろう」

そう言って音々にシャンプーを始めました。

「ホントにぃ~?」とMaiさんは言いましたが止めはしませんでした。

でも本当に音々もキレイにしたかったのかも知れません。

身体中血ヘドまみれでした。血ヘドで全身ガピガピで悪臭を放っていました。そのまま逝かせたくありませんでした。いつもお日様匂いがするようなフワフワの子でした。

とても不快だったと思います。それに比べシャワーは不快どころか拷問のようだったでしょうけど。

力が出せないせいもあったでしょうが、いつものようにシャワーに抵抗はしませんでした。苦しそうでした。抱きかかえるとまたお尻から血が流れて来ました。

「キレイになったよ?もういいんだよ?お休み」

そんな風に声をかけて僕達は寝ました。

 

翌朝、まだ空が白み始めるぐらいの早朝にMaiさんのすすり泣く声で僕は起きました。

音々が…」

「眠ったの?」

Maiさんは頷きました。

音々を看取るときなんで僕を起こさなかったのかについて、僕が声をかけたら音々がまた頑張っちゃう気がしたからと説明してくれました。

Maiさんの腕のなかで最期に前足でMaiさんの指をギュッと握りしめて眠ったそうです。

僕はすぐに起き上がってするべきことをしました。前の晩から覚悟は出来ていたので泣くこともありませんでした。

「よしっ」と言って冷蔵庫に向かいました。

スペースを作って、音々の血を少しまた拭いてやって、バスタオルでくるんで保冷剤を入れてやりキャリーバッグに寝かせて「ゴメンな」と言いながら冷蔵庫に入れました。

それからMaiさんに指示を出しました。

「今日は仕事に行こう。何もしてやれないから冷蔵庫で寝ててもらう。今からRさんと連絡をとってココにまず確認を取ってもらってダメそうならココね。」と、メモを渡しました。

Rさんというのは同じくバンコクに猫を連れて来ている日本人夫婦の奥さんのほうで、ご夫婦ともに我が家の友人なんですがそのRさん独学で覚えたタイ語がメチャクチャ上手いんです。

で、事前に調べていたペットの葬儀をやってくれるお寺にどうしたらいいか問い合わせて貰うという手筈でした。

最初はエカマイ駅の目の前にある大きなお寺がペットの葬儀をやっているとのことでそこで音々を葬る予定でしたが、Rさんに聞いてみてもらったところ今はやっていないとのこと。

それとは別に、一部ペットの葬儀を斡旋している業者があるのですがバカみたいな料金をとって、お迎え、葬儀から火葬・散骨までをパッケージツアーのように売っているところです。

良いか悪いかは知りませんがそんなの少なくてもウチにとってはなんか侮辱されている気分になる様なものでした。

それで少し離れていましたがちょっと外れにあるワットトーンボン(วัดทองบน)というお寺に問い合わせてもらいました。ワットトーンボンでは葬儀の予約等は受け付けていないので直接来るようにとのこと。しかしいつでも受け付けているということでもありました。

Rさんありがと。

僕はワットトーンボンをGoogleマップで調べてタイ語表記に切り替えてプリントアウトして、僕もMaiさんもその日は仕事に行きました。

職場に明日は出勤が遅くなる旨を伝えて翌日に備えました。

冷蔵庫の音々は冷え冷えのカサカサのカチカチでびっくりするぐらい軽かったですけど安らかでした。

翌朝音々を連れてタクシーに乗りました。気のいい運転手さんで、プリントアウトした地図と僕のスマホのGoogleマップのナビでろくにタイ語も喋れないガイジンを乗せて連れていってくれました。

ワットトーンボンはチャオプラヤー河のほとりです。敷地内に入ると河が見えました。ほとんど人気がなくて奥の方まで歩いて行きましたがどこかに分かりやすい受付があるわけでもなく、やっとお坊さんを見つけて声をかけました。

ワットトーンボン(วัดทองบน)

 

「メ、メーオ ターイ カップ…」(ネコ 死んだ です)

そんな辿々しいタイ語で話す僕に、おお、猫が亡くなったのか。じゃあアッチだよ。と指を指して教えてくれました。

全然来た方の入り口側でした。小さな建物と焼却炉がありました。

訪ねていくと昨日問い合わせてきた人?と聞かれたので少し安心しました。

説明を受けて小さな建物に入って料金を払う封筒とタンブン(このお寺へのお布施)を入れる封筒、それから音々を包むタオルや刺繍の入ったたすきの様なやつ(なんて言うんですかね?)、それからお経の書かれた紙を渡されてお坊さんがお経を唱えてくれるから一緒に読みなさいって。読めませんけどw

無事にお経をあげてもらって側にある焼却炉に音々を連れて行きました。

焼く係のお兄さんはこれからチャチャッと焼くから待ってな!って感じで音々を焼いてくれました。

機械がグイーンと閉まってゴウゴウと焼かれていきます。ホント結構な勢いで。

僕らは静かなお寺で静かに待ちました。音々の骨を一つずつ拾うつもりでしたがそりゃもうコンガリと灰のクズみたいになってお兄さんが火かき棒みたいなやつで集めてくれましたw (コレ絶対他の子のも混ざってるよなぁとか思いながら)

集めた骨を入れる骨壺もここで買えます。

タンブンも含めて4~5千バーツだったと思います。

She Can’t Give Everything Away

それから骨壺に入った音々を連れて家に帰り、また仕事に行きました。まあ職場では元気ではなかったです。黙々と仕事をこなしてその日休みだったMaiさんの待つ家に帰りました。

音々はもう待っていません。

 

Maiさんの顔を見た途端、僕は子供の様に泣きじゃくりました。もうどうにもならなかったです。

音々は確かに僕の娘でした。たかが猫と言われようがかけがえのない存在でした。ずっと音々に助けられていました。

もちろん言葉は交わせません。一緒に何十年も生活を共にすることもできません。同じメシを食うこともなければ一緒に出かけたり映画を観たりもできません。

違う生き物です。

猫は猫です。

だからなんだっていうんですか。

ボロボロに泣いて、僕よりもずっと音々との絆が深いはずのMaiさんに慰められました。

 

 

Kooks(reprise)

 

この日から約半年後。

 

娘が産まれました。