タイで感じたtinythai

80年代の歌謡曲みたいなタイトルになってしまいました。。。
Maiさんの投稿が少ないのでMaiさんにお願いしたいところなのですが、Nちゃんの一切の世話を任せきりにしているので子育てに忙殺されていて書けないっぽいです。
なのでまたまた僕が、先日ふと思ったtinyなthaiについて。
本当は年末なので各地で行われるカウントダウンのイベントなどド派手なのを映像付きでお伝えできればいいんですけど、僕は年末年始も仕事ですし幼児とともに真夜中まで起きて出かけるようなチャレンジャーではないのでそういうのはまた別の機会に。。。
タイ人から見たガイジン
タイは広いです。
国土自体も日本の約1.4倍あります。行ったことがない場所がいっぱいあります。人もおおらかです。微笑みの国です。
先日こんなことがありました。
同僚「てーぷさん、タンブン。用意してる?」
僕「はぁ?」
同僚「はぁ?」
僕「タンブン?」
同僚「タンブンっていうのはええっとねぇ…」
(タンブンぐらい知ってるよ!なんでそんなこと聞くのかわからんのだっつーのw!)
僕「いや、俺タンブンしねーから」
同僚「はぁ?」
僕「はぁ?」
お互い不穏な沈黙…
ことの次第はこういう事です。先日タンブン受け取りましたよっていう旨の封筒を受け取りました。僕はまったく覚えがなかったので誰かが僕の名前も添えて贈ったか、たまたま皆が贈る時にノリでいいよと100バーツぐらい渡したか。
で、それっていうのは一度名前が登録されると定期的にタンブンする必要があるみたいで封筒が来たらまた贈ってみたいなことをするそうです。
しないなら名前を抹消しないといけないらしく、たまたま受け取った封筒を持っていたので抹消してもらうように封筒の中の紙を渡して終わったのですが、お互いあまりスッキリしない感じです。
僕は基本的にタンブンはしません。
主義というのともちょっと違うのですが要するに僕の宗教に対する在り方の問題です。
まずタイの仏教と日本の仏教は違います。タイの仏教は小乗仏教(上座部仏教)と呼ばれ、俗世を捨て、自らが悟りを開く為だけに生きる選ばれし者の為にあり、他の人はそれを助けることによって情けを得るといった感じで、日本に伝わる大乗仏教では誰もが悟りに向かうことができるというのが前提で大きな違いがあります。
タイの仏教に異国情緒を感じるのはそのせいもあります。
タイ人の多くはこのことの意味について深くは知りません。タンブン=善行。タンブンしてればいいことある。タンブンするのはいいことだ。と、生まれたときからの習慣でそう思って生きているって人がほとんどだと思います。
それはそれでいいです。でも僕個人にとっては全く興味のないことです。僕は宗教を持ちません。
また個人個人の信仰そのものは別として、その宗教のそもそもの成り立ちも別として、世界の歴史の中で宗教が、その広まりや影響力が大きければ大きいほど世界のあらゆる国で政治利用され続けています。宗教が直接国政に干渉するような国はほぼないです。だからこそ好都合に利用されてきました。非常に繊細な問題ですが、良い悪いとは別に僕はそのことについて非常に注意深くしています。
タイではその習慣が過剰なあまり一部のなまぐさ坊主が私腹を肥やして問題になった例も少なからずあったりするんですが、そのようなカタチで幸せや慰めを得ることを僕は良しとしません。ましてやそれに倣わないことが良くないことのように思われるなら尚更です。
何の疑問も持たずに暮らしてきたタイ人、田舎出の言うなれば古き良きタイ人は僕のようなスタンスでいる感覚を許容できません。そういう意味で狭量なのです。
またタンブンに関しての彼らの反応の心の内には僕に対する金持ってるくせに!って気持ちが見えます。僕は薄給ですが、それでも確かにお給料は倍ぐらいは軽く違います。
じゃあやっぱり金持ってんじゃん!ってなるんですねw
実際は僕は一人で働いているので世帯収入で言うと彼らより低いかも知れないんです。
そうすると彼らは「はぁ?なんで奥さん働かないのw?」ってなります。
バンコクにいる地方出身者は子供が出来ても大抵すぐ働きます。なんでそれが当たり前に出来るかって子供を田舎に送ってしまって子育てしてないとか、親兄弟を呼んで子供の世話を頼んでたりとか。パートタイムで働いたりとか。。。
ウチが子供を田舎に送るってすなわち日本に送るってことですよね?親兄弟を呼んで子供の面倒見てもらうって日本から来させるってことですよね?パートタイムの仕事は基本的に日本人にはありません。
少し考えればわかることですがそういう外国人の大変な部分とかは彼らの想像の域を超えるようですw
僕は飲食業界で働いているのですが、飲食業界や工場など生産業の従業員、いわゆるブルーカラー系で働くタイ人は見事なまでにイサーン人だらけです。僕の職場も90%以上がイサーン人で占められています。彼らはイサーン語で会話しイサーンに誇りを持っています。そして都会をどこか馬鹿にしたりしています。彼らの中に都会っ子がいたら散々イジることでしょう。もしくは僕のようにただ一人外人が混じっているとそれなりに気を使ってもくれますがタイ語がわからないことを馬鹿にしたり習慣の違いを理解不能なこととして笑ったりします。
でも逆だったらどうでしょう?都会っ子の中に一人とか外人に囲まれて一人だったら。その中で馬鹿にでもされたら彼らは傷付き、或いはムキになって怒ることでしょう。
つまりは理解が足りないのです。違う世界が無数に存在してその中で個々違う人間が人の数だけ存在しているという当たり前のことが理解できていない。
タイでは普段アダ名や愛称で呼び合うのが普通でそれは職場とかでもそうです。目上の人にはそのアダ名に敬称としてピーをつけて呼びます。僕の場合日本人なのでどう呼んでいいか急にわからなくなるらしいんですよねw 半分はピー・てーぷと呼んでくれますが、本名の名字を名乗ってもいますのでその場合は○○さんと呼んでくれる場合もあります。ですが「さん」とつける習慣がないので、例えば僕が山田という名字だとすると「ヤマダ!ヤマダ!」と呼び捨てになりますw まぁいいんですが職場で僕が一番年上です。親子程年の離れた子達に呼び捨てにされます。
わからないとは言えガッツリ説教したくなることはしばしばです。
理解しようという気がないんですよ。
僕はそういうことにも怒ることはありませんし、基本的に彼らのルールに従い、全然喋れないながらも100%タイ語でコミュニケーションをとっています。同じ職場で働く同僚としてお互い様というには彼らが理解しようと務めないならあまりにも彼らにアドバンテージ有り過ぎじゃないですかw
で、仮に僕が自分の立場を利用して自分に都合よく彼らが僕に合わせるように仕向けたとしたら表面だけ繕って心は閉ざすようになるはずです。そのぐらい狭量でものを知らない。
だから都会的で、世界を、世間を知ったほうが良いって話…ではないんですよ。
ガイジンから見た日本人
たしかにタイでも都会の人や海外でも就学や就職の経験を持つ人はこんな感じではないです。国や宗教を大事にしていても違う世界を知っていますし尊重もしてくれます。
でも彼らはまず例外なく富裕層です。無意識に上に立っています。低所得者層を同等に意識する事なく憐れんでいます。彼らは彼らで別な立場の人間が何故そうなのかを考えるだけの想像力を持ちません。
彼らも結局狭い世界の住人です。彼らの社交の場に生きているに過ぎません。国際的な視野というのは幻想に過ぎません。
ここまででどう思います?
タイ人が案外狭量でつまらないと思いましたか?
全然違う話です。
例えば我々日本人に置き換えてみてください。貴方方は外人っていうだけで日本に来て自分たちの倍以上もの給料が在日外国人に支払われるのを許容出来ますか?でも実際はそこに利益を産む価値があり、国の経済に効果をもたらすことができるなら資本主義で成り立ってる国なら支払われて当然なはずです。
イスラム教徒ってだけで過激派やテロリストを連想したりしませんか?
旅行で僕の働いてるお店に来る日本人のお客さんによく、ホントによく聞かれることで「お客さんはほとんど日本人?」って質問に「タイ人日本人半々ですよ」って答えると「へぇー!そんな金持ってるタイ人いるの?」って返ってきます。
ウチの店来るのなんてタイの小金持ちですよ。
ウチの店の子に当たり前のように日本語で「オイ!」とか「こいつら」とか、言葉もかけずに手振りでシッシッと「皿を下げろ」的な合図をしてみたりするような日本人もいます。
それが旅行者じゃなくてリタイア組の在住者ってときもあります。
もう狭量とか馬鹿って次元じゃないですね。アタマおかしいんじゃないかと。
そういう奴に限って僕が出て行って日本人だとわかると急に敬語になったりします。冗談じゃねぇ。
たまたま実体験から日本人を例に取りましたが勘違いしないでくださいね。
tinyな世界
こういう話をしてると日本嫌いで世界を知った気でいる日本人がわかる~ってなるんでしょう。そういう人たちは決まって世界は違うぞ。ココの国なんてこんなに素晴らしい。なんで日本は見習わないんだ。って話が始まるわけですが、おんなじ人間ですよ。どんぐりの背比べな次元ですよ。人間のレベルなんて。
ちょっと前によく目にしたのはブータンは素晴らしい!ってのがそういう人界隈で流行りのようであったということ。国民総幸福度ってやつですか?
僕もよく知らないし行ったこともないけど友達のネパール人との会話の中でブータンの話題を出したら急に深刻な顔をしたのをよく覚えています。なんなら「ブータン ネパール人」とかでググってみてください。いろいろ出てきます。
単一民族主義なんですよ。なので異民族に対する強烈な差別がある。カースト的な差別もまだ残っている。国民総幸福量(GNH)というのは国内総生産(GDP) では民主主義国家として他国に太刀打ちできないから設定した方便のようなものであるとか。。。
もちろん行ってみたくなるぐらい良さそうな国だと思うし、ご飯も美味しそうだし、良い悪いってことじゃないんですよ。
お花畑が夢見てんじゃねぇってことです。
人は何処の国や人種だろうが同様に愚かで狭量な面を持ち合わせてるってことです。世界中どこを探してもそうでない場所なんて存在しません。
その中でタイなんて日本人としては高待遇で外国人を許容してくれてる国ですし、狭量な面があってもタイ人特有のゆる~い性質の中で結局はゆる~くやってゆけるので僕には居心地いいです。
ただ異国の地でその土地の狭量な面と触れるタイミングでぼんやり感じたことを記事にしてみました。(BGM:Imagine的なw)やんわりタブーに触れまくってますかねw?
11月からブログを始めてまだ2ヶ月弱で、アクセスはほぼ友人・知り合いばかりですがそれでもお付き合いいただいている皆さまには感謝しております。ありがとうございます。
記事数が全然少ないのでまだまだ楽しんでもらえるほどのボリュームには程遠いですね。
来年もまたマイペースですが徐々に記事も増やしていきます。
皆さま良いお年を。
2018年12月28日
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